シングルマザー マイホームを買う!

国際裁判と離婚 そして自分の人生を見つけた

あなたは神ですか?

初めて携帯から記事を書いてます(^o^)

夜中、眠ねない…

 

眠れない、なんかソワソワする。

 

内側から、なんか言葉にならない気持ちが溢れ…

 

「私の願いは何だ??言葉にする時だ」

と言う気持ちが湧いた。

 

何か、胸の中に閉まってある気持ち。

 

 

うーん、なんだろう。

 

探りに探ってみた。

 

そしたら出てきた、

 

「すごく誰かを愛したい。愛されたい。」

 

じゃあ、どんな体験をしたいんだろう。また探る。

 

 

韓国人の彼と体験したような、心も身体も一心同体でとても自然でいれる関係。

 

 

なんだろう、最近過去をさかのぼって記事を書いているからか、この韓国人との過去の気持ちを掘り起こすことが多かった。

 

そして、今でも私の心の中に、彼との思い出が深く根付いていることを再確認した。

 

彼との関係は6年間だった。

しかし、本当に深く付き合っていたのは2年くらいで、あとの4年はくっついたり離れたり。

最後の方はお互い、人間関係がとっちらかったまま繋がっていた。傷つけ合ってボロボロだった。

そして、最後は彼が私達の関係を諦めた。

 

その後、彼はアメリカに赴任になり、時々メールをくれた。

 

彼が結婚しているのかどうか、私は知らない。

 

彼がメールをくれた時、私は台湾人の彼と結婚して妊娠している時だった。そして、出産した時だった。

子供の写真を送った。

彼は言った

 

Congratulations ,I’m proud of you.

 

母になった事に対しておめでとう、と

 

私は、その時には台湾人の彼と離婚する事を決意していた。

 

あなたが父親だったらどんなに良かったか。

 

思ったけど言えなかった、言っちゃいけない気がした。

 

それから何度か、その韓国人の元彼から連絡を貰った。

 

彼が仕事に向かう日の、車の中から撮った青空の写真。

 

アメリカの空だった。

 

私は彼にメールした。

 

 

 

「連絡してくれてありがとう。嬉しかったと同時に、昔を思い出してとても悲しくなりました。

 

私はあなたのことを本当に愛していました。

当時は曲がった愛情しか表現できなかったけど、あなたからは一生分の愛を貰いました。私は十分過ぎるくらい貰ったので私は幸せです。

ありがとう

でも、もう連絡を取るのは辞めましょう。

あなたがどこかで生きていてくれるだけで、私は嬉しい。

あなたの幸せをいつも願っています。」

 

彼から連絡をもらった当初は本当に嬉しかった。

私が離婚のことで苦しかったから

 

でも、話せば話すほど、昔の私達とは違う、知らない部分が多すぎる彼に、なんとも言えない気持ちが、こみ上げて来るようになった。

 

「今でも本当に申し訳ないと思っている。

時々、今トモと一緒に、もしいたら…と想像することがある。意図してじゃなくて、無意識に考える。

 

自分がした事をどんなに後悔しても時間は戻せない。

僕の1番の理解者はトモだ。

本当にすまなかった。」

 

私達の束の間の再会はここで終わった。

 

ちょうど3年くらいもう連絡は取っていない。

 

オーストラリアで出会った時、彼は25歳だった。韓国の大学4年生だった。語学留学生だった。

私は29歳だった。私は社会人生活も長くて、彼が子供に見えた。

 

驚くほど彼は純粋だった。今まで彼の様に純粋な人には会ったことがなかった。

人を愛することに真っ直ぐな人だった。

I love you,Tomoとよく言われた。でも、そんな大事な言葉は簡単に口にするな、と私は本気にしていなかった。

 

当時は彼が本当に私に惚れてくれていて、愛があれば全て乗り越えられると信じていた。

 

私は愛があっても文化の差や経済力など、不安要素ばかりを重視した。恐れを選んだ。

 

なんで、彼は韓国に生まれたんだろう????

 

日本人同士だったらこんな結末になっただろうか。

 

 

時々彼を憎むことがある。

 

29歳、結婚を考えたら結構真剣に付き合わなきゃいけない年齢だった。

 

私は29歳から35歳まで、韓国人の彼と付き合っていた。

この時間…実らないなら無駄だった。

 

彼と出会わなかったら、正反対の人は望んでいなかった。台湾人の彼は正反対の要素を持っていた。

 

彼のせいで、台湾人夫に捕まり不幸になった。

 

…結構、こんな事を思ったりした。

 

 

でも、

 

よく考えたら…。

 

 

全部自分の決断だった。

 

韓国人の彼に「付き合いは続けられない、韓国には住めない」と私が始めに別れを切り出した。

婚約していたのに断った。

それが相手側のご両親を怒らせた。

 

台湾人の彼と出会って、付き合おうと決断したのも自分だった。

 

結婚したのも、子供を授かったのも自分の決断だった。

だって、台湾行きの飛行機に乗ったのは自分の選択。彼が私を拉致したわけじゃない。

 

いつでも違う道を選択する事はできたのに、自分で選んだんだ。

 

それに対して、後悔して相手のせいにしてるって、違うわな。

 

「その時は、それが最善だった。」

 

台湾人の夫と仲良く生涯共にする人生もあった。

 

でも、私が自分から拒否した。どうしても自分に嘘がつけなかった。愛することができなかった。

 

彼から逃げるには…究極の理由が必要。

 

結果、暴力を起こさせたのではないか…と私は本気で思っている。

 

彼と結婚した時、

「人生終わった。死んだように色んな事を諦めて生きていくんだ。」って実は思ってた。

全然ワクワクしなかった。

 

台湾の元夫の、暴力や細々した卑怯な行動は確かに責められるべき行動だ。人間として最低。

 

でも、私は気づいている。

 

私が逃げたかった。

 

これがかなり大きい。

 

私の人生、こんなのじゃ嫌だ!!!

 

この思いが私の離婚を引き起こしたと思っている。

 

私は結婚当初、離婚なんて考えなかったし、結婚したからには彼と生きていくしかないと腹を括っていた。

けど、これは表面的な決断だった。

 

心の底では、彼との結婚は他人事のように感じていたし、彼と生きていく事に安心はあっても深い喜びはなかった。

 

だから、暴力でもないと離婚は考えなかったんだ。

 

離婚するまで、半年、毎日毎日、子供の顔を見ながら考えた。

 

どうしようもなく涙が出てくる。

 

私は本当に申し訳なく感じていた。

私の安易な決断。

行き止まりだった人生。

安易な決断が子供の一生について回ること。

自分が欲深く見えた、それでも離婚を決断することに。

 

でも、このまま結婚を続けても、私の両親と同じように喧嘩がある家庭を作り出してしまうと思った。

 

親が怒鳴り合う声、物が割れる音。子供の頃、離婚届が置かれたテーブルを見た時の気持ち。

二人の壊れたエネルギーがぶつかり合う空間、地獄だった。

本当に嫌だった。

 

 

 

私は責任を背負うと決めた。

 

幸せを選ぶことを決めた。

 

豊かさに本気で向き合うと決めた。

 

自分を幸せにすると決めた。子供にその背中を見せれたら…と。

 

 

今、オセロには黒い駒が少しは置かれている。

 

その駒が白に反転する時、

 

私は韓国人の彼に心から感謝し、彼の存在の意味を理解するのかもしれない。

 

 

 

そうなればいいな、と思う。

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